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春分の日:寒気流れ込み2月の気候に 奥日光で積雪も /栃木
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080321-00000018-mailo-l09

春分の日の20日、関東の沖合を低気圧が通過、寒気が流れ込み、県内は冷たい雨となった。2月下旬の気候に逆戻りし、奥日光などで雪が積もった。

宇都宮地方気象台によると、宇都宮市の最低気温は7・8度、日光市も氷点下0・9度を記録。同市中宮祠では17センチの積雪となった。

いろは坂は、ノーマルタイヤで訪れた観光客の車が途中で立ち往生した。日光署によると2件の追突事故が起きた。21日は午前中ぐずつき、午後から回復に向うという。【浅見茂晴】
市民らが苗木や花 品定め 京田辺で緑化市
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080320-00000031-kyt-l26

春分の日の20日、京都府京田辺市田辺の田辺公園では、植木や鉢植えの即売などを行う恒例の緑化市が開かれた。あいにくの雨模様となったが、家族連れなど大勢の市民らが訪れ、目当ての草花を熱心に品定めしていた。

市民に草花に関心を持ってもらい、緑豊かなまちづくりをしようと、同市緑化協会が毎年春と秋の2回行っている。

会場では、市の花のヒラドツツジやボタン、サザンカなどの植木約30種類とフリージアやバラ、マーガレットなど50種類ほどの花鉢や切り花を販売。訪れた人たちは、苗木や花を一つ一つ見比べながら商品を買い求めていた。

ヒョウタンやヒマワリなどの種の配布や草花の手入れ法などを相談するコーナーもあり、庭木に適した木や植え方を尋ねる人の姿もあった。

生け垣用の木を探しに来た近くの公務員喜多秀和さん(57)は「いい木が見つかってよかった。帰ったら早速植えます」と話していた。
相良三十三観音:春の一斉開帳??きょう /熊本
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080320-00000166-mailo-l43

人吉球磨地方の観音霊場「相良三十三観音」で20日、観音像が一斉に開帳される。

江戸時代初期に庶民の間で広まったとされる巡礼は、長らく秋の彼岸の恒例行事として地元の人々の間で続けられてきた。00年からは新たな観光資源の一つとして春分の日にも一斉開帳している。

22番札所と24番札所は2カ所あり、全札所は35カ所。うち24カ所は春分の日と、秋の彼岸の1週間しか開帳されない。春分の日には例年、5000人の巡礼者が訪れる。各地で地元住民がお茶や菓子、煮物などを用意して巡礼客をもてなす。

人吉駅内の人吉観光案内所では「観音巡りの雰囲気作りに使ってほしい」と、レンタルの巡礼服(1人500円)も準備している。身分証明書が必要。問い合わせは案内所0966・22・2411。【高橋克哉】

上巳の節句(じょうしのせっく)

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桃の節句の事で、3月3日。

平安時代から行われていた厄災を人形に移して御祓いをする風習や、貴族の女子が人形で遊ぶ雛遊びが「雛祭り(ひな祭り)」の原形になったとされている。

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wikipediaでは下記のような記述も見られる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%9B%E7%A5%AD%E3%82%8A

雛祭り(ひなまつり)は女の子のすこやかな成長を祈る年中行事。ひいなあそびともいう。

日本の雛祭りはいつ頃から始まったのか判然としていないが、その起源はいくつか存在している。日本での起源は、平安時代に既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録が現存している。その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられている。しかし、それはどこまでも「遊びごと」であり、決して儀式的なものではなく、そこに雛あそびの名称の由来がある。

これが江戸時代に女の子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになった。この「雛あそび」が「雛祭り」へと変わったのは天正年間以降のことであり、この時代から三月の節句の祓に雛祭りを行うようになったと推測されている。

もっとも、この時代には飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味あいが強くなり、武家子女など身分の高い女性の嫁入り道具の重要な家財のひとつに数えられていた。その為、自然と華美になり、贅沢に流れるようになっていった。

江戸時代初期は形代の名残を残す立った形の「立雛」や、坐った形の「坐り雛」(寛永雛)が作られていたが、これらは男女一対の内裏雛を飾るだけの物であった。その後時代が下ると人形は精巧さを増し、十二単の装束を着せた「元禄雛」、大型の「享保雛」などが作られたが、これらは金箔張りの屏風の前に内裏の人形を並べた豪勢なものだった。

この享保年間、人々の消費を規制するため一時的に大型の雛人形が当時の幕府によって規制されたが、この規制を逆手にとって、「芥子雛」とよばれる数センチの大きさの精巧を極めた雛人形が流行することになる。江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな装束を正確に再現したものがあらわれ、さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れた。

この後、江戸末期から明治にかけて雛飾りは二人だけの内裏人形から、嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や檀飾りなど急速にセットが増え、スケールも大きくなっていった。
東京大神宮、桃の節句で「雛まつりの祓」?2年連続参列者増加
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080304-00000000-hsk_ic-l13

若い女性参拝者が多数訪れることでも知られる東京大神宮(千代田区富士見2)で3月2日、桃の節句にちなんだ神事「雛まつりの祓(はらい)」が行われた。

「雛まつりの祓」では、罪けがれをはらい清め、無病息災と心願成就を祈願。年令性別を問わず参列することができ、祭典終了後には災厄をはらう「桃の花守り」を授与する。

参列者数は、一昨年の150人に対し昨年は300人と倍増。今年は受付開始時間の30分以上前から若い女性たちを中心に参加者が列を作り、昨年を上回る400人となった。

ひな人形を飾り、女児の健やかなる成長と幸せを祈る行事と知られる「ひな祭り」だが、もともとは人型に切り抜いた紙(形代)に罪やけがれを移し、川や海に流す行事だったことから同神社では、願い事を書き込める女性用の「おひな様形代」と男性用の「お内裏様形代」を用意。神事と並行して2月9日?3月3 日、授与所で受け付けていた。

雑誌などのメディアで「東京のパワースポット」と評されることもある同神社には、初詣で以降も「恋愛成就祈願」などで訪れる若い女性たちが後を絶たない。

この日は神事への参列者以外にも、「恋みくじ」を引いたり「おひな様形代」に願いを込める参拝者の姿が多く見受けられた。